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東京地方裁判所 昭和47年(ワ)8696号 判決 1988年12月21日

原告 野口恭子

同 野口正行

同 野口賀壽代

右原告ら訴訟代理人弁護士 中平健吉

同 河野 敬

被告 石山五郎

右訴訟代理人弁護士 高田利広

同 小海正勝

主文

一  被告は、原告野口恭子に対して金一四五四万一八一八円、原告野口賀壽代に対して金四七二万七四一九円及び右各金員に対する昭和三八年一一月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告野口正行の請求並びに原告野口恭子及び原告野口賀壽代のその余の各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一二分し、その五を原告野口恭子の、その二を原告野口正行の、その二を原告野口賀壽代の、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、原告野口恭子及び原告野口賀壽代各勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告野口恭子(以下「原告恭子」という。)に対して五八八一万六九九七円、原告野口正行(以下「原告正行」という。)に対して一一二四万七六六二円、原告野口賀壽代(以下「原告賀壽代」という。)に対して一六四一万七六六二円及び右各金員に対する昭和三八年一一月一九日から各支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告ら

原告正行と原告賀壽代とは夫婦であり、原告恭子は、昭和三六年九月五日出生した原告正行及び原告賀壽代間の長女である。

(二) 被告

被告は、医師であり、原告らが昭和三六年ころから昭和三九年ころまでの間居住していた東京都港区三田四丁目一五番二九号の道路を挾んだ向い側である同所一四番一四号において医院を経営していた。

2  本件の経緯

(一) 原告恭子は、生来病弱でいわゆる虚弱体質であり、しばしば原因不明の発熱やけいれん、ひきつけ等を起こし、生後三か月の昭和三六年一二月ころから昭和三八年一一月一八日までの間に、二〇回余にわたり、被告の診療を受けていた。

特に、原告恭子は、昭和三七年一〇月二日には、突発性発疹症により高熱を発するとともに激しいけいれん発作を起こし、被告の診察を受けたが、原告恭子の病状が被告の手に余るものであったため、被告から紹介を受けて、聖路加病院に入院し、また、昭和三八年五月二九日には、重いけいれん発作を起こして被告の診察を受け、被告の紹介により東京都済生会中央病院に入院したことがある。

(二) ところで、原告恭子は、昭和三七年春ころ、東京都芝保健所(以下「芝保健所」という。)の所長から、予防接種法(昭和五一年法律第六九号による改正前のもの。以下「旧法」という。)一〇条一項一号所定の痘そうの定期予防接種を受けるよう通知を受け、そのころ、右痘そうの予防接種(以下「種痘」という。)を受けるため指定された場所に行ったが、当時風邪をひいていて熱があったため、その旨を芝保健所の職員に伝えたところ、同職員から、「今日は種痘を受けるのをやめて、風邪が治ったら必ずかかりつけの医師のところで種痘を受けて下さい。」との指示を受けた。

(三) 原告恭子は、その後、しばしば原因不明の発熱やひきつけを起こし、体調のよい時が少なかったが、昭和三七年初夏、体調が小康状態にあったので、かかりつけの医師であった被告に依頼して種痘を受けたが、善感しなかった。このため、被告は、原告らに対し「善感するまでは種痘義務が果たせないから、再度種痘を受けるように。」と指示した。

(四) そこで、原告恭子は、昭和三八年の前半に、再度、被告から種痘を受けたが、またしても善感しなかった。

(五) 原告恭子は、昭和三八年一一月一八日、被告から三回目の種痘(以下「本件種痘」という。)を受けたが、この際、被告は、「これまで二度やってもつかなかったので、今度はつくようにしようね。」と言いながら、血が滴るほど強く切皮して痘苗を多量に接種したため、原告恭子が帰宅したときは、腕に血糊と痘苗がベッタリとついている状態であった。

(六) 原告恭子は、本件種痘を受けた後八日目の昭和三八年一一月二六日、けいれん発作を起こして被告の診察を受けたが、同日夜、再び激しいけいれん発作を起こし、同日午後一〇時ころには摂氏四〇度にも達する高熱も発して、再度被告の往診を受けた。ところが、被告は、原告らに対し、「多分種痘の熱でしょう。しかし、種痘で脳炎になることはありません。解熱の注射をしておきましたから、そのうちに熱も下がるでしょう。」と述べて、原告恭子の病状について心配のないことを強調して帰った。

(七) その後、原告恭子は、昏睡状態に陥り、四〇時間以上も眠ったままであったが、昭和三八年一一月二八日夜、再び高熱を発するとともにけいれん発作を起こして、被告の往診を受けた。ところが、被告は、原告らに対し、原告恭子の身体を安静にしてその頭部を冷やすように指示するのみであった。そして、原告恭子は、同日夜から再び昏睡状態に陥った。

(八) 原告恭子は、昭和三八年一二月一日昼ころ、ようやく昏睡状態から目覚めたが、目を半開きにしたまままばたきもせず、視線はうつろで、身体からは力が抜けていた。原告正行及び原告賀壽代は、原告恭子の異常な様子に気付き、原告恭子を北里病院等に連れて行って医師の診察を受けさせ、同月四日から同月九日までの間恩賜財団母子愛育会附属愛育病院(以下「愛育病院」という。)に入院させ、同月九日には慶應義塾大学病院(以下「慶応病院」という。)に入院させて診察を受けさせたが、原告恭子は、種痘後脳炎にかかっており、もはやその後遺症を少しでも軽くする方法を考えるほかには処置のしようがない状態であった。

(九) 原告恭子は、その後昭和三九年一月二〇日までの間は慶応病院に、昭和四〇年七月一二日から昭和四三年九月四日までの間は公立学校共済組合関東中央病院(以下「関東中央病院」という。)にそれぞれ入院し、同病院退院後は東京都狛江市所在の精神薄弱施設「おさなご園」に入園した。

(一〇) 原告恭子は、昭和四五年秋ころ、厚生省及び東京都に対し、原告恭子が本件種痘により種痘後脳炎に罹患したことの認定申請をし、厚生省及び東京都は、昭和四六年三月二五日、原告恭子の症状について種痘後遺症第一級に該当するとの認定をした。

(一一) 原告恭子は、原告らが本件訴訟を提起した昭和四七年当時、脳の中枢を侵されて通常の子どもとしての自制心と分別とが全くなく、昼夜の区別がつかず深夜家族が就寝している間に屋外を歩き回って行方不明となったり、時と場所とをわきまえずに叫び声をあげたり、物をむやみに破壊したりする状態で、通常の義務教育を受けることができず、その後の昭和五二年当時も、自分の誕生日がいつであるか分からず、火曜日が月曜日の次の日であることも知らない知能程度で、つじつまの合わないことを口走ったり、無意味に同じ言葉を繰り返したり、物を投げ散らかしたり、衣類を引き裂いたりする状態であり、けいれん発作を抑制するため毎日抗けいれん剤を服用した結果その健康も損われており、常時介護されていなければ日常生活を送ることは不可能な状況であった。そして、以上の状況は、今日に至るまで継続している。

3  被告の責任

(一)(1) 種痘は、痘そうのワクチニアウイルスを弱毒化した生ワクチンを人体に接種して被接種者を不顕性又は軽症の痘そうに感染させ、その体内に痘そうのウイルスに対する抗体を生じさせて、その者が将来毒性の強い野性の痘そうのウイルスに感染することを防ごうとするものであるが、種痘については、これが開発された一八世紀末以来、その向神経性が強く、しばしば種痘後脳炎等あるいは死亡の結果をもたらすなど重篤な副反応の発生する危険性の大きいことが広く認識されていた。

ところで、旧法に基づいて行われる種痘その他の予防接種に関しては、予防接種実施規則(昭和三三年九月一七日厚生省令第二七号。以下「実施規則」という。)が定められ、実施規則は、その四条において、一定の身体的条件を有する者については予防接種による副反応の発生する確率が高く、しかも、副反応の発生を予知しこれを防止する有効かつ確実な手段がないことを考慮して、予防接種を行う者に対し、「接種前には、被接種者について、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によって、健康状態を調べ、当該被接種者が次のいずれかに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行ってはならない。ただし、被接種者が当該予防接種に係る疾病に感染するおそれがあり、かつ、その予防接種により著しい障害をきたすおそれがないと認められる場合は、この限りでない。」と定めたうえ、各号において、原則として予防接種を行うことを避けるべき一定の身体的条件を有する者(以下「禁忌者」という。)を列挙している。

したがって、種痘を行う医師は、前記の種痘による副反応発生の危険性及び右副反応の発生を回避するために定められた前記実施規則四条の趣旨、内容を正しく理解し、種痘を受けようとする者について慎重に予診を行ってその者が禁忌者にあたるか否かを的確に識別し、種痘を受けようとする者が禁忌者にあたる場合にはその者に対して種痘を行うことを避ける等して種痘により種痘後脳炎その他の副反応を生じさせることのないように万全の措置を採るべき注意義務を負うものというべきである。

そして、種痘を行う医師が、種痘を受けようとする者について慎重に予診を行うことを怠り、その者の症状、疾病その他その者の有する異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、その者が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたるのにその識別判断を誤って種痘を行った結果、その者に種痘後脳炎その他の副反応を発生させた場合には、種痘を行った医師は当該種痘を行うに際し右副反応発生の結果を予見し得たにもかかわらず過失によりこれを予見しなかったものと推定され、右医師が当該種痘を行うについて過失がなかったことの反証のない限り右医師は不法行為責任を負うことを免れないものというべきである(最高裁判所昭和五一年九月三〇日第一小法廷判決・民集三〇巻八号八一六頁参照)。そして、このことは、種痘を行う医師が実施規則四条の趣旨、内容を十分理解していなかったために種痘を受けようとする者が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたることを識別することができず、右の者に対して種痘を行った結果その者に種痘後脳炎その他の副反応を発生させた場合についても、同様というべきである。

(2) また、種痘を受けた者に種痘後脳炎が発生した場合には、その発生後できるだけ早期に適切な医療処置を講ずることが後遺症軽減のために必要とされるから、医師は、右のような場合には、直ちにその者について専門医の診察治療を受けさせる等の最善の医療処置を講ずべき注意義務を負うものというべきである。

(二)(1)ところが、被告は、原告恭子のいわゆるかかりつけの医者であり、原告恭子がしばしばけいれんやひきつけの発作を起こしていたことを知っていたのであるから、原告恭子が実施規則四条三号所定の禁忌者の一つである「けいれん性体質の者」にあたることを知り得べきであったのに、前記の種痘による副反応発生の危険性及び実施規則四条の趣旨、内容を十分理解していなかったため、原告恭子が右「けいれん性体質の者」にあたることを看過し、漫然と原告恭子に対して本件種痘を行い、その結果、原告恭子に種痘後脳炎を発生させたのである。

したがって、被告は、原告恭子に対して本件種痘を行うに際し、本件種痘により原告恭子に種痘後脳炎が発生することを予見し得たにもかかわらず、過失によりこれを予見しなかったものと推定されるから、本件種痘により原告恭子に種痘後脳炎を発生させたことについて不法行為責任を負うことを免れない。

(2) また、被告は、本件種痘実施後の昭和三八年一一月二六日及び同月二八日にけいれん発作等を起こした原告恭子を診察した際、原告恭子の右発作等が種痘後脳炎により生じたものであることを看過し、原告恭子について専門医の診察治療を受けさせる等の適切な医療処置を講ずることなく放置した。したがって、被告は、右過失についても不法行為責任を負うことを免れない。

4  損害

(一) 原告恭子の入院治療中に要した費用 合計五〇五万六七〇〇円

原告恭子は、昭和三八年一二月九日から昭和三九年一月二〇日までの四三日間は慶応病院に、昭和四〇年七月一二日から昭和四三年九月四日までの一一〇七日間は関東中央病院にそれぞれ入院して治療を受けたが、原告正行及び原告賀壽代は、原告恭子の右入院治療に伴って左記のとおり必要とされた一日当たり四三九八円の割合による費用の合計五〇五万六七〇〇円を各二分の一の割合により二五二万八三五〇円ずつ負担した。

(1) 入院治療費 一日当たり 二五四円

(2) 薬代 一日当たり 五九四円

(3) 付添費 一日当たり一五〇〇円

(4) 付添人の食事代 一日当たり 一〇〇〇円

(5) 付添人の寝具代 一日当たり 五〇円

(6) 交通費、通信連絡費、心電図、脳波、レントゲン等の検査のための臨時支出等の諸雑費 一日当たり 一〇〇〇円

(二) 原告恭子の在宅治療中に要した費用等 合計六三万円

原告恭子は、慶応病院を退院した昭和三九年一月から関東中央病院に入院した昭和四〇年七月までの一八か月間、原告らの自宅において治療を続けたが、原告正行及び原告賀壽代は、原告恭子の右在宅治療に伴って左記のとおり必要とされた一か月当たり三万五〇〇〇円の割合による費用等の合計六三万円を各二分の一の割合により三一万五〇〇〇円ずつ負担した。

(1) 薬代 一か月当たり二〇〇〇円

(2) 原告恭子が損壊等した衣類、家具等の損害 一か月当たり一万三〇〇〇円

(3) 介護費 一か月当たり二万円

(三) 原告恭子の精神薄弱施設「おさなご園」在園中に要した費用等 合計三二六万七二〇〇円

原告正行及び原告賀壽代は、昭和四三年九月から昭和四七年二月までの間、原告恭子を精神薄弱施設「おさなご園」に入園させてその介護等を委託したが、右期間中に必要とされた左記内容の費用等の合計三二六万七二〇〇円を各二分の一の割合により一六三万三六〇〇円ずつ負担した。

(1) 入園料 五万円

(2) 施設費 一か月当たり二万三六〇〇円

(3) 薬代 一か月当たり二〇〇〇円

(4) 交通費(原告らの居宅と「おさなご園」との間の一往復当たりの交通費三〇〇〇円×一か月当たり六往復) 一か月当たり一万八〇〇〇円

(5) 原告恭子が損壊等した衣類等の損害 一か月当たり一万三〇〇〇円

(6) 介護費 一か月当たり二万円

(四) 原告正行及び原告賀壽代の二男野口剛史の委託費 八九万六三九六円

原告正行及び原告賀壽代は、原告恭子の通常の子どもとしての分別をわきまえない行為により、原告正行及び原告賀壽代の二男であり原告恭子の弟である野口剛史(以下「剛史」という。)に危害が及ぶことを懸念し、剛史の出生後一年間愛育病院に対して剛史の哺育を委託して、委託費用八九万六三九六円を各二分の一の割合により四四万八一九八円ずつ負担した。

(五) 原告恭子の将来の介護費 合計二六〇三万五九七二円

原告恭子は、昭和四七年当時一〇歳であったが、厚生省大臣官房統計調査部編第一二回生命表によれば、一〇歳の女子の平均余命は、六四年間を超えているから、原告恭子は昭和四七年以後少なくとも六四年間は生存することが可能であるところ、原告恭子は、前記のとおり白痴状態にあるから、右期間中特殊施設内での介護を受けることを必要とする。そして、前記のとおり原告恭子が「おさなご園」に在園中に必要とされた一か月あたりの費用等の合計七万六六〇〇円を基礎として、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除したうえ原告恭子が右生存可能期間中に負担すべき介護費相当の損害の原価を計算すると、二六〇三万五九七二円となる。

(六) 原告恭子の得べかりし利益 合計七四三万四〇二六円

原告恭子は、被告の前記過失がなければ、満一八歳から満六三歳までの間労働することが可能であったが、被告の前記過失により、労働能力を全く喪失してしまった。そして、昭和四三年度賃金センサスの第一巻第一表によれば産業計、企業規模計の全労働者の平均月間決まって支給する現金給与額は四万三二〇〇円であり、平均年間賞与その他の特別給与額は一一万六七〇〇円であって、その平均年間総給与額は六三万五一〇〇円であるところ、右六三万五一〇〇円から昭和四三年賃金構造基本統計調査報告により明らかな一人当たりの平均年間生活費である一八万八四〇〇円を控除した平均年間純収入額である四四万六七〇〇円を基礎とし、ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除したうえ原告恭子の得べかりし純収入額の現価を計算すると、七四三万四〇二六円となる。

(七) 慰藉料

原告恭子は、被告の前記過失によりその心身に極めて重い障害を被り、通常の社会生活を送ることが不可能となってしまった。そして、これにより原告らの被った精神的苦痛を金銭で慰藉するには、原告恭子については二〇〇〇万円を、原告恭子の親である原告正行及び原告賀壽代については各一〇〇〇万円をもって相当とする。

(八) 損害のてん補

原告正行は、原告恭子が被告の前記過失により被った障害について、国から二〇〇万円の、東京都から二七〇万円の各補償金の支払を受けた。

(九) 弁護士費用

原告らは、本件原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任し、着手金及び報酬として、原告恭子については将来の介護費二六〇三万五九七二円、得べかりし利益七四三万四〇二六円及び慰藉料二〇〇〇万円の合計五三四六万九九九八円の一割に相当する五三四万六九九九円の、原告正行については原告賀壽代とともに各二分の一の割合により負担した原告恭子の入院治療中に要した費用二五二万八三五〇円、原告恭子の在宅治療中に要した費用等三一万五〇〇〇円、原告恭子の「おさなご園」在園中に要した費用等一六三万三六〇〇円及び剛史の委託費等四四万八一九八円の合計四九二万五一四八円と慰藉料一〇〇〇万円との合計一四九二万五一四八円から国及び東京都から支払を受けた補償金合計四七〇万円を控除した残額一〇二二万五一四八円の一割に相当する一〇二万二五一四円の、原告賀壽代については原告正行とともに各二分の一の割合により負担した右原告恭子の入院治療中に要した費用等合計四九二万五一四八円と慰藉料一〇〇〇万円との合計一四九二万五一四八円の一割に相当する一四九万二五一四円の各支払を約した。

5  よって、原告らは、被告に対し、いずれも、不法行為による損害賠償請求権に基づき、原告恭子については前記損害の合計五八八一万六九九七円、原告正行については前記損害の合計一一二四万七六六二円、原告賀壽代については前記損害の合計一六四一万七六六二円及び右各金員に対する不法行為の日の後である昭和三八年一一月一九日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は、知らない。

(二)  同1(二)の事実は、認める。

2(一)  同2(一)の事実のうち、被告が昭和三七年一〇月二日以降同年中に二、三回、昭和三八年中にも同年一一月一八日までに二、三回それぞれ熱性けいれんの発作を起こした原告恭子の診療に当たったことを除きそれ以上に同原告を診療したこと、原告恭子が生来病弱でいわゆる虚弱体質であったこと、原告恭子がけいれん、ひきつけをしばしば起こしていたこと、原告恭子が昭和三七年一〇月二日に起こした病状が被告の手に余るものであったこと及び原告恭子が昭和三八年五月二九日に起こしたけいれん発作が重いものであったことは争うが、その余は認める。

(二)  同2(二)の事実は、認める。

(三)  同2(三)及び(四)の各事実のうち、被告が昭和三八年一一月一八日より前に一回原告恭子に対して種痘をしたが、原告恭子は善感しなかったことは認めるが、その余は否認する。

(四)  同2(五)の事実のうち、被告が原告ら主張の日に本件種痘を行ったことは認めるが、その余は否認する。

被告は本件種痘を乱刺法により行ったので、原告恭子に出血はほとんどなかった。

(五)  同2(六)の事実のうち、原告恭子が原告ら主張の日にけいれん発作を起こし、被告が往診したことは認めるが、その余は否認する。

被告は、右往診をした際、原告らに対し、原告恭子には種痘後脳炎の症状は認められない旨述べたのであり、種痘により脳炎が発生することはないと述べたことはない。

(六)  同2(七)の事実のうち、被告が原告ら主張の日に原告恭子を往診したことは否認し、その余は知らない。

(七)  同2(八)ないし(一一)の各事実は、知らない。

3(一)(1) 同3(一)(1)の事実のうち、種痘が原告ら主張のとおりの目的及び機能を有するものであること、種痘により種痘後脳炎等の副反応が発生する危険性があること、実施規則四条に原告ら主張のとおりの規定が存することは認め、その主張のうち、医師は種痘を行う場合には種痘を受けようとする者に種痘による副反応を生じさせないように十分注意すべき義務を負うことは一般論として認めるが、その余は争う。

(2) 同3(一)(2)のうち、医師が種痘を受けた者に種痘後脳炎が発生した場合直ちにその者について専門医の診察を受けさせる等の最善の医療処置を講ずべき注意義務を負うことは一般論として認めるが、その余は争う。

(二)(1) 同3(二)(1)の事実のうち、実施規則四条三号が禁忌者の一つとして「けいれん性体質の者」を挙げていること及び被告が原告恭子に対して本件種痘を行った際原告恭子が右「けいれん性体質の者」にあたると判断しなかったことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

(2) 同3(二)(2)の事実のうち、被告が昭和三八年一一月二六日原告恭子を診察したことは認めるが、原告恭子が種痘後脳炎に罹患したことは知らず、その余は否認し、その主張は争う。

4  同4(一)ないし(九)は、争う。

三  被告の主張

1  国の責任について

(一) 国の損失補償責任について

日本国憲法二九条は、その一項において、国民の財産権を保障するが、その三項において、国は国民の財産権を制限してこれを公共のために用いることができるとするとともに、右のように公共のために用いるため国民の財産権に制限を加える場合には国は制限を受ける者に対してその被った損失について正当な補償をしなければならないと定めている。

これに対し、日本国憲法は、国が公共の福祉の実現のためにする行為によって国民の生命、身体等に関する権利を侵害し、その者を公共の福祉の実現のための犠牲とする結果を生じさせた場合における国の右損失を受けた者に対する責任については明文の規定を置いていない。しかしながら、日本国憲法は、一三条において、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については国政上最大の尊重を必要とする旨定め、また、同法二五条一項においては、更に積極的に国民の健康で文化的な生活を営む権利を保障して、国民の生命、身体に関する権利をその財産権よりも優位に位置付けているものと解され、また、国民の大多数の者がその一部の者の犠牲において利益を受けた場合に全体の負担において国民の大多数の者の利益の実現のために犠牲となった者の受けた損失を調整すべきことは、法の下の平等を定める日本国憲法一四条の要請するところでもあるものというべきであるから、公共のために用いるために国民の財産権を制限するにはその制限を受ける者に対してその被った損失について正当な補償をしなければならないとする前記日本国憲法二九条三項との比較上、国は、その公共の福祉の実現のためにする行為によって国民の生命、身体等に関する権利を侵害する結果を生じさせた場合には、右侵害を受けた者に対してその損失を補償する責任を負うものと解すべきであり、右のように解することは、国民の大多数の者の利益の実現のために犠牲となった者の受けた損失は全体の負担において調整すべきであるとする前記日本国憲法一四条の要請にも沿うものである。

ところで、国は、国民を伝染病である痘そうから保護するという公共の福祉の実現のため、旧法によりすべての国民に対して種痘を受けることを義務付けたのであるが、現代医学においては、種痘の実施に伴って一定の確率により種痘後脳炎その他の副反応が発生することを避けることができない。そして、国民が国の義務付けたところに従って種痘を受けた結果、その者に種痘後脳炎その他の副反応が発生した場合には、国は、痘そう予防という公共の福祉の実現のためにその者の生命、身体等に関する権利を侵害し、その者を公共の福祉の実現のための犠牲としたこととなるから、国は、日本国憲法上に明文による根拠はないが、前記の各条文の解釈により当然に導き出される責任として、その者に対してその被った損失を補償する責任を負うものというべきである。

したがって、旧法の定めるところに従って原告恭子が受けた本件種痘により原告らが受けた損失については、国が第一次的にこれを補償する責任を負うべきであり、被告が原告らに対して損害賠償の責任を負うことはない。

(二) 国の第一次的な損害賠償責任について

仮に右主張が認められないとしても、国は、被告が原告恭子に対して本件種痘を行った昭和三八年当時、一般国民のみならず種痘を行う医師に対してさえも、痘そう予防のための種痘の必要性を強調するのみで、種痘による副反応発生の危険性又は実施規則四条各号所定の禁忌者の判断基準等についてなんらの情報提供をしておらず、行政指導等も一切していなかった。このため、被告は、右当時種痘による副反応発生の危険性について認識しておらず、原告恭子に対して本件種痘を行うに際しても同原告が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたるか否かを十分注意しておらず、その結果、本件種痘により原告恭子に種痘後脳炎を発生させてしまったのである。

このように、本件種痘により原告恭子に生じた事故は、一般国民及び医師に対して種痘による副反応発生の危険性及び右副反応の発生防止のために必要な事項についての情報を提供すること並びに右副反応の発生防止のために適切な行政指導等を行うことを怠った国の重大な過失にその主たる原因が存するから、国が第一次的に原告らに対して国家賠償法に基づく損害賠償責任を負うべきである。

(三) 国家賠償法の適用について

医師法(昭和二三年法律第二〇一号)は、その一条において、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保するものとする。」と定め、また、その一七条において、「医師でなければ、医業をなしてはならない。」と定めているところ、旧法による痘そう等の予防接種は、その実施面では医療行為としての性格を有しているから、右医師法の規定により医師しかこれを行うことができないのである。このような旧法及び医師法の規定によれば、医師は一般的に国の事務である旧法に基づく予防接種の実施について委託を受けているものと解すべきである。

そして、本件種痘は、旧法五条、六条の二及び九条に基づいて行われたものであり、被告は、旧法により国から委託を受けたところに従って本件種痘を行ったのである。

したがって、仮に前記(一)及び(二)の各主張が認められないとしても、本件種痘により原告らが被った損害の賠償については、国家賠償法一条に基づき国がその責任を負うべきであり、公務員である被告個人が原告らに対して損害賠償責任を負うことはない。

2  被告の無過失

(一) 被告には、原告恭子に対して本件種痘を行うについて、なんらの過失も存しない。すなわち、

(1) 国は、被告が原告恭子に対して本件種痘を行った昭和三八年当時、一般国民に対してのみならず種痘を行う医師に対してさえ、痘そうその他の伝染病を予防するための予防接種の必要性を強調するのみで、種痘による副反応発生の危険性等に関する情報を明らかにしておらず、種痘による副反応の発生を防止するための行政指導等も行っていなかったのであるから、一開業医にすぎない被告が右当時種痘を行うことにより種痘後脳炎その他の副反応が発生することを予見することは不可能であった。

(2) また、被告が原告恭子に対して本件種痘を行った昭和三八年当時、実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」について行政解釈上又は医学上の明確な定義または判断基準は存せず、右当時の通常の開業医の医学水準においては、かつてけいれん発作を起こしたことがある者に対して種痘その他の予防接種を行う際には、特別の注意を払い、体調のよい時を選んでこれを行うべきものと理解されていたのである。

(3) さらに、そもそも「けいれん性体質の者」に対して予防接種を行うことを原則として避けるべきであるとする医学上の根拠は存せず、アメリカ合衆国においては、被告が原告恭子に対して本件種痘を行った一〇年後の昭和四七年当時、「けいれん性体質の者」又はけいれん発作の既往症のある者に対しては原則として予防接種を行うことを禁止するとすることには根拠がないとして、右の者に対しても少量接種による試験を行った後通常どおり予防接種を行ってよいとされている。そして、実施規則四条ただし書は、「被接種者が当該予防接種に係る疾病に感染するおそれがあり、かつ、その予防接種により著しい障害をきたすおそれがないと認められる場合は」、禁忌者にあたる者に対しても予防接種を行ってもよい旨定めているところ、禁忌者にあたる虚弱な児童こそむしろ積極的に伝染病から保護される必要があるから、実施規則四条の解釈運用に当たっては、そのただし書に定められているところが原則とされるべきであり、医師が必要と認める場合には禁忌者にあたる者に対しても予防接種を行って差し支えないと解すべきである。

(4) そして、被告は、原告恭子に対して本件種痘を行うに当たり、当時の通常の開業医の医学水準に従って、原告賀壽代から原告恭子の体調はよい旨の説明を受け、さらに、原告恭子を診察してその身体に異常がないことを確認したうえ、本件種痘をしたのであるから、被告には本件種痘を行うについてはなんらの過失も存しない。

(二) 種痘を受けた者に種痘の副反応である種痘後脳炎が発生するのは稀であるうえ、右副反応発生の原因も明らかではなく、種痘を受けた者に種痘後脳炎が発生したか否かを判断するのは往診程度の診察では困難であるところ、被告が昭和三八年一一月二六日に原告恭子を往診した際、膝蓋腱反射、アキレス腱反射及び腹壁筋反射はいずれも正常で、バビンスキー氏現象、ケルニヒ氏症状、フースクロムス項部強直その他の病的症状も認められなかったのであるから、被告が原告恭子に種痘後脳炎が発生したことを判断できなかったことに落ち度はない。

また、被告は、同月二七日、原告らから原告恭子の症状について電話連絡を受けた際、原告らに対し、原告恭子を入院させることを勧めたのである。

したがって、被告には原告らの主張するように原告恭子が本件種痘により種痘後脳炎に罹患したことを看過し、これを放置した過失はない。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1(一)は、争う。

(二)  同1(二)の事実のうち、国は昭和三八年当時一般国民及び種痘を行う医師に対して痘そう予防のための種痘の必要性を強調していたが、種痘による副反応発生の危険性等についての情報を十分提供しておらず、行政指導等も十分に行っていなかったこと、原告恭子が本件種痘により種痘後脳炎に罹患したことは認めるが、その余は争う。

(三)  同1(三)の事実のうち、本件種痘が旧法五条、六条の二及び九条に基づくものであることは認めるが、その余は争う。

2(1) 同2(一)の事実のうち、国は昭和三八年当時一般国民及び医師に対して痘そう等の伝染病の予防のための予防接種の必要性を強調していたが、種痘による副反応発生の危険性等に関する情報を十分明らかにしておらず、種痘による副反応の発生を防止するための行政指導等も十分に行っていなかったこと、右当時実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」の行政解釈上の定義は明らかにされていなかったこと、実施規則四条ただし書が被告主張のとおり定めていることは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

種痘により種痘後脳炎等の副反応の発生することがあること及び実施規則四条各号所定の禁忌者については種痘その他の予防接種による副反応発生の確率が特に高いことは、昭和三八年当時医学上明らかにされており、実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」の意義も右当時医学上確立されていた。そして、我が国においては昭和三〇年以降痘そう患者は発生しておらず、海外痘そう患者が入国して他の者に痘そうを伝染させない限り我が国において痘そう患者が発生することはあり得ない状態で、しかも、原告恭子が本件種痘を受けた昭和三八年当時には我が国において痘そう患者が発生する具体的危険は存しなかったのであるから、右当時実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」にあたる原告恭子に対して副反応が発生するかもしれない危険を冒してまであえて本件種痘を行うべき必要性も相当性も存しなかったのである。

(二) 同2(二)の事実のうち、種痘により種痘後脳炎が発生する原因が明らかでないことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一1  請求原因1(一)の事実は、成立に争いのない乙第一七号証並びに原告正行及び原告賀壽代各本人尋問の結果(以下それぞれ「原告正行供述」、「原告賀壽代供述」という。)により、認めることができる。

2  同1(二)の事実は、当事者間に争いがない。

二  本件種痘の法的性格について

1  原告恭子は、昭和三七年春ころ、芝保健所の所長から、旧法一〇条一項一号所定痘そうの定期予防接種を受けるよう通知を受け、そのころ、右予防接種を受けるため指定された場所に行ったが、当時風邪をひいていて熱があったため、種痘は受けなかったこと、この際、原告恭子は、芝保健所の職員から、風邪が治ったら改めて種痘を受けるように指示されたこと、その後、原告恭子は、昭和三八年一一月一八日、被告による本件種痘を受けたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告恭子は同年一一月二六日ころ本件種痘により種痘後脳炎に罹患したことが認められる。

また、被告が本件種痘前にも原告恭子に対して少なくとも一回種痘を行ったことは当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、原告恭子は昭和三八年八月ころ及び同年一〇月ころにもそれぞれ被告による種痘を受けたが、いずれも善感しなかったことが認められる。被告本人尋問の結果(以下「被告供述」という。)中には、被告が原告恭子に対して種痘を行ったのは同年一〇月ころと同年一一月一八日の本件種痘との二回だけである旨の部分が存するが、<証拠>並びに被告供述によれば、被告は昭和四五年ころまでの間に原告恭子に対してした種痘についての記載の存する診療録等を保存期間が経過したため廃棄してしまっており、右同年当時には既に原告恭子に対して本件種痘を行った日も正確に記憶していない状態であったことが認められることに照らし、被告の右供述はにわかに信用し難いというほかない。

2  ところで、旧法は、三条において、すべての国民に対して同法の定める予防接種を受けることを義務付けるとともに、一六歳に満たない者及び禁治産者については、その保護者に対し、右の者らに右予防接種を受けさせるため必要な措置を講ずることを義務付け、五条において、市町村長は同法の定めるところにより定期の予防接種を行わなければならないものと定めている。そして、同法一〇条一項は、同法五条に基づき市町村長等が行う痘そうの予防接種の定期について定め、同法一〇条四項は、右定期の種痘を受けた者又はその保護者は、市町村長等若しくは医師が行う検診を受け、又は受けさせなければならないと定め、同条八項は、右検診の結果種痘による免疫の効果が得られなかったと判定された場合には、その者はその後直ちに更に一回種痘を受けなければならないと定めている。また、同法九条は、疾病その他やむを得ない事故のため定期内に予防接種を受けることができなかった者は、その事故が消滅した際に当該予防接種を受けるべき定期に該当していない限り、その事故の消滅後一か月以内に当該予防接種を受けなければならないと定めている。

そして、右のような旧法の各規定にかんがみれば、旧法は、同法九条の定めるところにより定期に遅れて種痘を受けたが善感せず免疫の効果が得られなかった者に対しても同法一〇条八項の定めるところに準じて更に一回種痘を受けることを義務付ける趣旨であるか否かは直ちには明らかでないが、仮に右の者に対しても同法一〇条八項の定めるところに準じて更に一回種痘を受けることを義務付けるのが同法の趣旨であるとしても、同法は、国民に対し、同法一〇条一項の定める定期又は同法九条の定める期間内に種痘を受けること及び右種痘により免疫の効果が得られなかった場合には更に一回種痘を受けることのみを義務付けているのであって、右再度の種痘によっても免疫の効果が得られなかった場合に免疫の効果が得られるまで重ねて種痘を受けることまでを要求してはいないものというべきである。

3  これを本件について見るに、前記のとおり原告恭子は被告により合計三回の種痘を受けたのであるが、旧法は国民に対して多くとも二回の種痘を受けることしか義務付けていないのであるから、原告恭子に対して三回目にされた本件種痘は、旧法に基づくものではなく、原告らと被告との間において任意に行われたものと認めるのが相当である(なお、本件種痘は旧法五条、六条の二及び九条に基づいて行われたものであることは当事者間に争いがないが、右は本件種痘の法的性格についての当事者の見解にすぎないから、当裁判所を拘束するものではないというべきである。)。

また、右の点に関し、<証拠>によれば、原告正行は、昭和四五年一一月ころ、東京都港区長に対し、同年七月三一日の閣議において了解されたいわゆる予防接種禍の被害者を救済することを目的とする緊急の行政措置である「予防接種事故に対する措置(以下「本件救済措置」という。)」に基づいて、本件種痘により原告恭子が受けた障害について後遺症一時金の給付の申請をしたが、芝保健所の所長は、右申請が正式に受理されるに先立って、同年一一月三〇日、右申請の際に添付書類として提出された被告作成の被告は昭和三八年原告恭子に対して種痘を行い原告恭子はこれに善感したことを証明する旨の証明書に基づき、原告恭子は旧法一〇条一項一号に基づいて行われた本件種痘に善感したことを証明する旨の種痘済証を発行したこと、その後、右申請は、同年一二月八日、正式に受理されたこと、原告恭子は、昭和四六年三月二五日、原告恭子は旧法一〇条一項一号に基づいて行われた本件種痘により厚生年金保険法(昭和二九年法律第一一五号)別表第一の一級相当の障害を受けたとの認定を受け、原告正行は、そのころ、本件救済措置による後遺症一時金二七〇万円の給付を受けたこと、また、原告正行は、昭和四五年一二月八日、東京都知事に対し、東京都が本件救済措置と類似の目的のもとに定めた予防接種による健康障害者等に対する見舞金等の支給に関する条例に基づいて原告恭子が本件種痘により受けた障害について障害見舞金の給付の申請をしたこと、そして、原告恭子は同月一八日、右条例の定めるところにより本件種痘により障害を受けたとの認定を受け、原告正行は、そのころ、右条例に基づき二〇〇万円の障害見舞金の給付を受けたことが認められる。しかしながら、原告恭子が、国及び東京都が定めた救済手続上で右のとおり各認定を受けたことをもって、直ちに前記認定の本件種痘の法的性格が左右されるものとはいえず、他に本件種痘の法的性格について前記認定したところを覆すに足りる証拠はない。

三  国の責任に関する被告の主張について

1  被告は、国は国民に対して痘そうの予防という公共の福祉の実現のために種痘を受けることを義務付け、その結果、原告らに対して損失を与えたのであるから、日本国憲法一三条、一四条、二五条及び二九条等の定めるところから解釈上導き出されるところに従って本件種痘により原告らの被った損失を補償する責任を負う旨主張するが、前記のとおり本件種痘は原告らと被告との間で任意に行われたものであって旧法の定めるところに従って行われたものではないというべきであるから、右主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。

2  国の第一次的な損害賠償責任について

また、被告は、国には被告が原告恭子に対して本件種痘を行った昭和三八年当時医師等に対して種痘による副反応の発生を防止するための適切な措置を採ることを怠っていた等の過失が存するから、原告らが本件種痘により被った損害については国が第一次的に国家賠償法に基づき損害賠償責任を負うべきである旨主張するが、仮に国に被告主張のような過失が存するとしても、これにより直ちに被告が一切の不法行為上の責任を免れるものと解すべき法律上の根拠は存しないから、被告の右主張は失当というべきである。

3  さらに、被告は、被告は旧法及び医師法の定めるところにより国から受けた委託に基づいて公務員として旧法の定めるところに従い本件種痘を行ったのであるから、原告らが本件種痘により被った損害の賠償については、国家賠償法一条が適用され、公務員である被告個人は原告らに対して損害賠償責任を負わない旨主張するが、前記のとおり本件種痘は原告らと被告との間で任意に行われたものであって旧法の定めるところに従って行われたものとはいえないから、右主張も、その余の点について判断するまでもなく、失当というべきである。

四  過失の有無について

1  原告恭子は、昭和三七年一〇月二日、突発性発疹症によりけいれん発作を起こし、被告の診察を受けた後、被告の紹介により聖路加病院に入院したこと、原告恭子は、昭和三八年五月二九日にもけいれん発作を起こし、被告の診察を受けた後、被告の紹介により東京都済生会中央病院に入院したこと、被告は、昭和三七年一〇月二日以降同年中に二、三回、昭和三八年中にも同年一一月一八日までに二、三回、それぞれ熱性けいれんの発作を起こした原告恭子の診療に当たったことは、当事者間に争いがない。

そして、<証拠>によれば、被告は、昭和三七年一〇月二日より前から、原告恭子が発熱等したときはその診療に当たっていたこと、原告恭子は、前記のとおり右同日突発性発疹症によりけいれん発作を起こして聖路加病院に入院し、以後約二週間同病院に入院を続けたこと、その後、原告恭子は、ほぼ二か月ごとにけいれん発作を起こして被告の診療を受けたこと、原告恭子は、昭和三八年五月二九日にも前記のとおりけいれん発作を起こして東京都済生会中央病院に入院し、同月三一日まで同病院に入院を続けたこと、その後、被告は、原告賀壽代に対し、原告恭子はけいれん発作を繰り返しており、てんかんの疑いもあるので脳波の検査等を受けるように勧めたこと、原告恭子は、その後もけいれん発作を起こしていたが、本件種痘を受けた同年一一月一八日当時はけいれん発作は治まっていたことが認められる。なお、原告正行供述中には、原告恭子は昭和三七年一〇月二日より前にもけいれん発作を起こして被告の診療を受けたとの部分があるが、これを否定する原告賀壽代及び被告各供述に照らし、にわかに信用し難い。

2  ところで、実施規則四条は、「接種前には、被接種者について、体温測定、問診、視診、聴打診等の方法によって、健康状態を調べ、当該被接種者が次のいずれかに該当すると認められる場合には、その者に対して予防接種を行ってはならない。ただし、被接種者が当該予防接種に係る疾病に感染するおそれがあり、かつ、その予防接種により著しい障害をきたすおそれがないと認められる場合は、この限りではない。」と定めたうえ、その三号において、原則として予防接種を行うことを避けるべき禁忌者の一つとして「けいれん性体質の者」を挙げている。

そして、種痘は痘そうのワクチニアウイルスを弱毒化した生ワクチンを人体に接種して被接種者を不顕性又は軽症の痘そうに感染させ、その体内に痘そうのウイルスに対する抗体を生じさせて、その者が将来毒性の強い野性の痘そうのウイルスに感染することを防ごうとするものであること、種痘により種痘後脳炎等の副反応が発生する危険性があること、種痘により種痘後脳炎が発生する原因は明らかでないことは、当事者間に争いがないところ、<証拠>によれば、種痘により種痘後脳炎等しばしば死亡の結果をも生じさせる重篤な副反応が発生する確率は一〇〇万人当たり一〇人ないし二〇人程度であること、種痘により種痘後脳炎が発生する原因については医学上明らかではなく、種痘によって種痘後脳炎が発生することを予知し、その発生を防止する有効確実な方法も今日なお存しないこと、種痘により種痘後脳炎その他の副反応が発生することがあることは、種痘が開発された一八世紀末以来医学上広く認識されており、また、一定の身体的条件を有する者については種痘その他の予防接種による副反応の発生する確率が高いことも医学上明らかとされてきたこと、ドイツにおいては、けいれんの発作を起こしやすい者については予防接種による副反応の発生する確率が高いことが予防接種の実施結果から経験的に明らかにされたため、当該予防接種以前の一年間にけいれんの発作を起こしたことがある者に対しては原則として予防接種を行うことを避けるべきであるとされていたこと、我が国においては、昭和三三年九月一七日に実施規則が定められる前は、厚生省告示により各予防接種ごとに施行心得が定められていて、種痘については種痘施行心得が定められ、禁忌者の類型も挙げられていたが、昭和三二年ころ発足した厚生省の諮問機関である伝染病予防研究会は、従来各予防接種ごとに定められていた施行心得を整理、統一するために制定することが予定されていた実施規則の内容について検討し、ドイツにおける前記の医学知識及び予防接種実施上の取扱いを基礎として、実施規則四条三号において禁忌者の一つとして「けいれん性体質の者」を挙げることとしたこと、その後右実施規則四条三号の定めは昭和五一年厚生省令第四三号により「接種前一年以内にけいれんの症状を呈したことがあることが明らかな者」と改められたことが認められる。

ところで、昭和三八年当時実施規則四条三号の定める「けいれん性体質の者」の行政解釈上の定義は明らかにされていなかったことは当事者間に争いがなく、他に右規定の行政解釈上の定義がいかなるものであったかを直ちに明らかにし得る証拠もないが、右「けいれん性体質の者」という語の社会通念上の用法と、前記認定の実施規則四条三号の制定に当たり基礎とされたドイツにおける医学知識及び予防接種実施上の取扱いの内容並びに昭和五一年に改正された後の右規定の内容とを総合すると、右実施規則四条三号所定の「けいれん性体質の者」とは、当該予防接種前一年程度の間にけいれんの発作を起こしたことがあり、けいれんの発作を起こしやすい身体的傾向を有する者を意味するものと解するのが相当である。そして、原告恭子に対して本件種痘の行われた日である昭和三八年一一月一八日までの同原告のけいれん発作の発生状況は前記のとおりであるから、原告恭子は実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」にあたるものと認めるが相当である。

3  被告が昭和三八年一一月一八日原告恭子に対して本件種痘を行うに当たり原告恭子が実施規則四条三号所定の「けいれん性体質の者」にあたると判断していなかったことは、当事者間に争いがない。

そして、被告供述により成立を認める丙第一号証並びに原告賀壽代及び被告各供述によれば、被告は、原告恭子に対して本件種痘を行った当時実施規則の存在について知っていなかったこと、被告は、右当時種痘により種痘後脳炎等の副反応が発生することがあることは知っていたが、本件種痘を行うに際しては種痘による副反応発生の危険性について特に意識しておらず、種痘を避けるべき者か否かについては、本件種痘を行う際に使用した社団法人北里研究所の製造にかかる痘苗に添付されていた「3 禁忌 次の各号に該当する者には種痘を猶予すべきである。ただし、痘そう感染のおそれが大きいと思われるときにはこの限りでない。(1)著しい栄養障害に陥っている者、(2)まん延性の皮膚病にかかっている者で種痘により障害をきたすおそれある者、(3)重症患者または熱性病患者」との記載の存する痘苗使用書に従って判断していたのであって、右に該当しない者については、その者の種痘実施前二、三週間の健康状態及びその者の種痘実施時における発熱の有無について注意することで十分であり、けいれん発作の既往症のある者でも種痘実施前三、四か月の間にけいれん発作が起こっていなければ種痘を実施して差し支えないと考えていたこと、そして、被告は、原告恭子に対して本件種痘を行うに当たっては、原告恭子に付き添って来た原告賀壽代から、原告恭子はけいれん発作は治まっており体調もよい旨の説明を受けたうえ、原告恭子を診察し、原告恭子が発熱しておらずその他健康状態について特に異常な点も認められなかったため、原告恭子に対して本件種痘を実施したことが認められる。

4  ところで、実施規則は、旧法に基づいて行う予防接種の実施方法について定めたものである(一条参照)ところ、前記のとおり本件種痘は旧法に基づくものとはいえないから、本件種痘について実施規則は直接には適用されないものというべきである。

しかしながら、実施規則制定の経過は前記のとおりであり、右事実によれば、実施規則四条の予防接種を受けようとする者に対する予診及び禁忌者等についての規定は、実施規則制定当時のドイツ及び我が国における予防種痘による副反応の発生防止についての医学知識の水準を基礎として定められたものと認めるのが相当であるところ、<証拠>によれば、実施規則は、昭和三三年九月一七日に定められた後、同年一〇月四日発行の「日本醫事新報」一七九七号にその内容が掲載されたこと、厚生省公衆衛生局長は、旧法に基づく予防接種の実施方法について実施規則の定める内容を更に詳細に明らかにした「予防接種実施要領」(以下「実施要領」という。)を定め、昭和三四年一月二一日、各都道府県知事に対し、「予防接種の実施方法について」と題する書面(衛発第三二号)により、これを通知したこと、また、厚生省公衆衛生局長は、同月二七日、日本医師会長に対し、「予防接種の実施方法について」と題する書面(衛発第七四号)により、医師に対する実施要領の周知徹底方について配慮を依頼したこと、日本医師会長は、同月三〇日、厚生省公衆衛生局長に対し、「予防接種実施の際の健康診断について」と題する書面(日医発第二九八号)により、予防接種を受けようとする者全員に対して実施規則四条所定の予診を行わなければならないのか否かについて照会をし、厚生省公衆衛生局長は、同年二月四日、日本医師会長に対し、「予防接種実施の際の健康診断について」と題する書面(衛発第九四号の一)により、右照会に対して実施規則四条の規定は健康診断を行う際の診断方法の水準を示したものであって被接種者に対して同条に示されたすベての方法による診察を行うべきこととする趣旨ではなく、実際に予防接種を実施する際の健康診断の実施方法については実施要領により了知されたい旨の回答をしたこと、そして、実施要領は、同年二月二八日発行の「日本醫事新報」一八一八号にその内容が掲載されたこと、厚生省公衆衛生局長は、同年一二月四日、各都道府県知事に対し、「予防接種実施の際の健康診断について」と題する書面(衛発第九四号の二)により、日本医師会長からの前記照会に対して前記のとおり回答した旨を通知したことが認められ、以上の事実によれば、実施規則四条及びこれを具体化した実施要領並びにこれらの規定の基礎となった前記の医学知識は、遅くとも実施規則制定後五年を経過した昭和三八年ころには、予防接種を実施する医師が当然理解しておくべき医学水準上の知識として定着していたものと認めるのが相当であり、<証拠>中右認定に反する部分は、いずれも採用し難い。

したがって、医師は、旧法に基づくものではない任意の種痘を行うに当たっても、実施規則四条の定めるところ及びその基礎となった前記の医学知識の内容を十分理解したうえ、実施規則四条の趣旨に従って、種痘を受けようとする者に対して問診やその他の方法により十分な予診を行い、その者が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたるか否かを的確に識別判断して、その者に種痘により種痘後脳炎等の副反応を生じさせないように慎重な措置を採るべき注意義務を負うものというべきである。そして、旧法に基づいて行われる予防接種において医師が適切な問診等を尽くさなかったため、予防接種を受ける者の異常な身体的条件及び体質的素因を認識することができず、その者が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたるか否かの識別判断を誤って予防接種を行い、その結果、予防接種を受けた者に副反応を生じさせた場合には、医師には予防接種を行うに際して当該副反応発生の結果を予見し得たのにこれを予見せず適切な措置を採らなかった過失が存するものと推定され、当該副反応の発生が当時の医学水準からして予見することが不可能であったこと若しくは当該副反応発生の蓋然性が著しく低く医学上は当該副反応の発生を否定的に予測するのが通常であること、又は医師が当該予防接種を行うに際して実施規則四条ただし書所定の当該予防接種を行うのが相当とされる特別の事情が存したこと等が主張立証されない限り、医師は不法行為責任を負うことを免れないものというべきであるところ(最高裁判所昭和五一年九月三〇日第一小法廷判決・民集三〇巻八号八一六頁参照)、右は、旧法に基づくものではなく医師と種痘を受けることを希望する者との間で任意に行われた種痘において、医師が実施規則四条の定めるところ及びその基礎となった医学知識の内容を正しく理解することを怠ったため、種痘を受ける者に対して適切な予診をせずその者が実施規則四条各号所定の禁忌者にあたるか否かの識別判断を誤ってその者に対して種痘を行い、その結果、その者に種痘による副反応を生じさせた場合についても同様であると解するのが相当である。

5  これを本件について見るに、被告は、前記のとおり原告恭子が昭和三七年一〇月二日以降繰り返しけいれんの発作を起こしていたことを同原告に対する診療等を通じて熟知していたのであるから、実施規則四条の定めるところ及びその基礎となった医学知識を正しく理解しておれば、原告恭子が実施規則四条三号所定の禁忌者である「けいれん性体質の者」にあたることを認識し得たものというべきところ、実施規則四条の定めるところ等を正しく理解していなかったため、原告恭子が右禁忌者にあたることについて識別判断を誤り、原告恭子に対して本件種痘を行い、その結果、原告恭子に種痘後脳炎を発生させたものと認めるのが相当である。したがって、被告には原告恭子の右副反応の発生についてこれを予見し適切な措置を採ることを怠った過失が存するものと推定すべきである。

被告は、国は被告が原告恭子に対して本件種痘を行った昭和三八年当時医師等に対して種痘の必要性を強調するのみで種痘による副反応発生の危険性等についての情報を明らかにしておらず、実施規則四条三号所定の「けいれん性体質の者」についてもその行政解釈上の定義等を明らかにしていなかったのであるから、被告が本件種痘により原告恭子に種痘後脳炎が発生することを予見することは不可能だったのであり、また、被告が原告恭子が右禁忌者にあたることを認識できなかったことにも落ち度はない旨主張するが、被告は本件種痘を行った当時種痘により種痘後脳炎の副反応が発生することがあることを知っていたこと、また、実施規則四条の定めるところ及びその基礎となった医学知識は右当時予防接種を行う医師が当然理解しておくべき医学水準上の知識として既に定着していたものと認められることは前示のとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。

また、被告は、「けいれん性体質の者」に対しては原則として予防接種をするのを避けるべきであるとする医学的根拠はない旨主張し、前記丙第四号証及び成立に争いのない丙第三号証等右主張に一応沿う証拠も存しないわけではないが、右証拠のみでは、いまだ「けいれん性体質の者」に対して種痘を行っても種痘後脳炎の発生する蓋然性が著しく低く医学上は種痘後脳炎の発生を否定的に予測するのが通常であったと認めるには足りず、被告が原告恭子が「けいれん性体質の者」にあたることの識別判断を誤ったことについて落ち度が存しないということはできない。

更に、被告は、禁忌者にあたる虚弱な子どもに対してこそ伝染病からこれらの者を保護するためむしろ積極的に種痘その他の予防接種を行う必要が存する旨主張するが、被告は右のとおり一般的に主張するのみで、昭和三八年当時原告恭子に対して本件種痘を行うことを必要とし、又は相当とする特別の事情が存したことについて具体的な主張立証をしないから、被告の右主張も採用することができない。

以上のとおり、被告が原告恭子に対してした本件種痘についてその過失の不存在について主張するところは、いずれも理由がないから、被告は、原告恭子に対して本件種痘を行い、同原告に種痘後脳炎を発生させたことについて、不法行為責任を負うことを免れないものというべきである。

五  損害について

1  原告恭子の入院治療中に要した費用について

(一)  <証拠>によれば原告恭子は、昭和三八年一二月九日慶応病院に入院し、本件種痘により罹患した種痘後脳炎について治療を受けたが、昭和三九年一月二〇日更に治療を続けても効果は期待できないとして同病院を退院したこと(入院日数四三日)、その後、原告恭子は、昭和四〇年七月一二日右種痘後脳炎による後遺症軽減のための治療を受けるため関東中央病院に入院し、昭和四三年九月四日まで治療を受け、右同日同病院を退院したこと(入院日数一一五一日)が認められる。

(二)  入院治療費について

<証拠>によれば、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年五月一日から同月三一日までの間に入院治療費として一日当たり五二〇円を要したことが認められ、原告恭子が慶応病院に入院していた期間及び関東中央病院に入院していたその他の期間中にも入院治療費として一日当たり右同額の費用を要したものと推認できる。

そうすると、原告恭子の右各病院入院中に要した入院治療費は、合計六二万〇八八〇円となる。

(三)  薬代について

<証拠>によれば、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年五月一日から同月三一日までの間に薬代として一日当たり平均三九円を要したことが認められ、原告恭子が前記各病院に入院していたその余の期間中にも薬代として一日当たり右同額の費用を要したものと推認できる。

そうすると、原告恭子の前記各病院入院中に要した薬代は、合計四万六五六六円となる。

(四)  付添費について

<証拠>によれば、原告恭子は前記各病院入院中看護補助者等の付添いを受けたこと、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年五月一日から同原告が同病院を退院するまでの間に付添費として一日当たり一五〇〇円を要したことが認められ、原告恭子が前記各病院に入院していたその余の期間中にも付添費として一日当たり右同額の費用を要したものと推認できる。

そうすると、原告恭子の前記各病院入院中に要した付添費は、合計一七九万一〇〇〇円となる。

(五)  付添人の食事代について

前記のとおり原告恭子は前記各病院入院中付添いを受けていたところ、前記乙第一〇号証の三によれば、付添人の食事代として、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年三月一日から同月三一日までの間は一日当たり二一〇円を、<証拠>によれば、原告恭子が右病院に入院していた同年四月一日から同年五月三一日までの間及び同年八月一日から同月一八日までの間は一日当たり三〇〇円をそれぞれ要したことが認められ、原告恭子が前記各病院に入院していたその余の期間中付添人の食事代は、同年二月二九日以前は一日当たり二一〇円を、同年六月一日から同年七月三一日までの間及び同年八月一九日から同年九月四日までの間は一日当たり三〇〇円をそれぞれ要したものと推認できる。

そうすると、原告恭子の前記各病院入院中に要した付添人の食事代は、同年三月三一日までの間は合計二一万七七七〇円、同年四月一日以降は合計四万七一〇〇円であり、右合計は二六万四八七〇円となる。

(六)  付添人の寝具代について

前記のとおり原告恭子は前記各病院入院中付添いを受けていたところ、前記乙第一三号証の三によれば、付添人の寝具代として、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年三月一日から同月三一日までの間は一日当たり四〇円を、<証拠>によれば、原告恭子が右病院に入院していた同年四月一日から同年六月三〇日までの間は一日当たり五〇円をそれぞれ要したことが認められ、原告恭子が前記各病院に入院していたその余の期間中の付添人の寝具代は、同年二月二九日以前は一日当たり四〇円を、同年七月一日以降は一日当たり五〇円をそれぞれ要したものと推認できる。

そうすると原告恭子の前記各病院入院中に要した付添人の寝具代は、同年三月三一日までの間は合計四万五四八〇円、同年四月一日以降は合計七八五〇円であり、右合計は五万三三三〇円となる。

(七)  雑費について

<証拠>によれば、原告恭子が関東中央病院に入院していた昭和四三年五月一日から同月三一日までの間に治療用雑費として一日当たり平均一五円を要したものと認められ、原告恭子が前記各病院に入院していたその余の期間中にも治療用雑費として一日当たり右同額の費用を要したものと推認でき、さらに、<証拠>によれば、原告恭子の右入院期間中には右のとおりの治療用雑費のほかにも通信連絡費や家族の通院交通費等の雑費を要したものと認められる。原告賀壽代は、治療用雑費を含めた右諸雑費の金額は一日当たり平均一〇〇〇円であると供述するが、前記入院治療費等の金額と対比すれば、右供述は直ちには採用し難く、これらの諸雑費の合計額は一日当たり二〇〇円と認めるのが相当である。

そうすると、原告恭子の前記各病院入院中に要した諸雑費は、合計二三万八八〇〇円となる。

(八)  以上のとおりであるから、原告恭子の前記各病院入院中に要した費用の合計額は三〇一万五四四六円となるところ、弁論の全趣旨によれば、原告恭子の父母である原告正行及び原告賀壽代は、右費用を各二分の一の割合により一五〇万七七二三円ずつ負担したものと認められる。

2  原告恭子の在宅治療中に要した費用等について

(一)  薬代について

<証拠>によれば、原告恭子は慶応病院を退院した翌日の昭和三九年一月二一日から関東中央病院に入院した前日の昭和四〇年七月一一日までの間原告らの自宅で治療を続けたこと、原告恭子の右在宅治療中に薬代として一か月当たり平均二〇〇〇円を要したことが認められる。

そうすると、原告恭子の右一七か月二一日間に及ぶ在宅治療中に要した薬代は、合計三万五三五四円となる。

(二)  原告恭子が損壊等した衣類、家具等の損害について

成立に争いのない甲第二四号証及び原告賀壽代供述によれば、原告恭子は本件種痘により種痘後脳炎に罹患して知能の発達が遅れ、興奮して自分の衣服を引き裂いたり家具等を損壊したりする等の粗暴な行動に出ることがしばしばあることが認められるところ、原告賀壽代供述中には、原告恭子の右粗暴な行為により生じた損害のほか、知能の遅れた原告恭子のためにいわゆるパチンコ球遊器を購入したり紙製のシールを購入したりする費用として一か月当たり平均一万三〇〇〇円を要したとの部分が存するが、右証拠のみによっては右一か月当たり一万三〇〇〇円のすべてが原告恭子の前記粗暴な行動により生じた損害であると直ちに認めるには足りず、右損害としては一か月当たり六〇〇〇円をもって相当と認める。

そうすると、原告恭子の前記在宅治療中に生じた損害は、合計一〇万八〇六四円となる。

(三)  介護費について

原告正行及び原告賀壽代各供述によれば、原告正行及び原告賀尋代は原告恭子が本件種痘により種痘後脳炎に罹患するより前から家事手伝人を雇っていたこと、原告恭子が前記のとおり在宅治療を始める前には家事手伝人に対する賃金は一か月当たり四、五万円であったが、原告恭子が在宅治療を開始した後は右賃金は一か月当たり約二万円増額されたことが認められるところ、原告賀壽代供述中には、原告正行及び原告賀壽代は原告恭子が在宅治療を開始した後は原告恭子の介護のため家事手伝人の負担が従前より増すことを考慮して右のとおり賃金を増額することとした旨の部分が存するが、右証拠のみでは右増額した賃金全額が本件種痘と相当因果関係のある損害であると直ちに認めるには足りず、原告恭子の前記在宅治療中の介護費としては、一か月当たり一万円をもって相当と認める。

そうすると、原告恭子の前記在宅治療中に要した介護費は、合計一七万六七七四円となる。

(四)  以上のとおりであるから、原告恭子の前記在宅治療中に要した費用等の合計額は三二万〇一九二円となるところ、弁論の全趣旨によれば、原告恭子の父母である原告正行及び原告賀壽代は、右費用等を二分の一の割合により一六万〇〇九六円ずつ負担したものと認められる。

3  原告恭子の精神薄弱施設「おさなご園」在園中に要した費用等について

(一)  「おさなご園」の入園料、施設費、薬代及び交通費について

<証拠>によれば、原告恭子は昭和四三年八月ころ当時入院していた関東中央病院の医師の紹介により東京都狛江市所在の精神薄弱施設「おさなご園」に入園し、同年九月四日に右病院を退院した後は、毎週月曜日ないし土曜日は右園に在園し、毎週土曜日及び日曜日は原告らの自宅で過ごすこととなったこと、原告恭子が右園に入園するに際しては入園料として五万円を要し、その後も施設費として一か月当たり二万三六〇〇円を要したこと、また原告恭子の自宅と右園との間の交通については一か月当たり平均六往復の割合でタクシーが利用され、右タクシー代は一往復当たり三〇〇〇円であったこと、原告恭子の右園入園後も薬代として一か月当たり二〇〇〇円を要したことが認められる。

そうすると、原告恭子の昭和四三年九月から昭和四七年二月までの合計四二か月間の「おさなご園」在園期間中に要した右各費用の合計は一八八万一二〇〇円となる。

(二)  原告恭子が損壊等した衣類等の損害について

<証拠>によれば、原告恭子は「おさなご園」入園後も粗暴な行動が治まらず、衣服を引き裂いたりする等したことが認められ、原告賀壽代供述中には、原告恭子の右行動による損害及び遊具代等として一か月当たり平均一万三〇〇〇円を要した旨の部分が存するが、右証拠のみでは直ちに右金員をもって原告恭子の前記粗暴な行動によって生じた損害と認めるに足りず、右損害としては一か月当たり六〇〇〇円をもって相当と認める。

そうすると、原告恭子の昭和四三年九月以降四二か月間の「おさなご園」在園中に生じた損害は、合計二五万二〇〇〇円となる。

(三)  介護費について

原告賀壽代供述によれば、原告恭子は「おさなご園」入園後も毎週土曜日及び日曜日は原告らの自宅にいて家事手伝人の介護を受けていたことが認められるが、前記のとおり右各日以外は「おさなご園」に在園していて、家事手伝人による介護は必要とされていなかったのである。そして、前記のとおり原告恭子の在宅治療中の家事手伝人による介護費としては一か月当たり一万円と認めるのが相当であるから、一か月を三〇日とし、一か月間に土曜日及び日曜日が平均各四・五日存するものとすると、原告恭子の「おさなご園」在園中に要した介護費としては、一か月当たり三〇〇〇円をもって相当と認める。

そうすると、原告恭子の昭和四三年九月以降四二か月間の「おさなご園」在園中に要した介護費は、合計一二万六〇〇〇円となる。

(四)  以上のとおりであるから、原告恭子の前記「おさなご園」在園期間中に要した費用等の合計額は二二五万九二〇〇円となるところ、弁論の全趣旨によれば、原告恭子の父母である原告正行及び原告賀壽代は、右費用等を各二分の一の割合により一一二万九六〇〇円ずつ負担したものと認められる。

4  剛史の委託費について

<証拠>によれば、原告正行及び原告賀壽代の二男である剛史は、昭和四五年一〇月二四日出生したこと、原告正行及び原告賀壽代は、原告恭子の粗暴な行動により新生児である剛史に危害がおよぶことをおそれて、剛史の出生後昭和四六年一〇月二五日までの間愛育病院に対して剛史の哺育を委託し、入院料等合計八一万四五二〇円を支払ったことが認められるが、前記恭子は右期間中毎週月曜日ないし土曜日は「おさなご園」に在園していて自宅にはおらず、毎週土曜日及び日曜日は家事手伝人の介護を受けていたのであるから、更に剛史について右のように哺育を委託することが必要とされたとは直ちには認め難く、右委託費をもって本件種痘と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

5  原告恭子の将来の介護費について

原告恭子は昭和四七年当時一〇歳の女子であったところ、厚生省大臣官房統計調査部編第一三回生命表によれば、昭和四五年当時の一〇歳の女子の平均余命は六五・九一であるから、原告恭子は昭和四七年以後少なくとも六五年間は生存が可能であると認めるのが相当である。

ところで、<証拠>によれば、原告恭子は、本件種痘により種痘後脳炎に罹患した結果、精神の発達に著しい遅滞を生じたうえ、左半身がまひして運動機能に障害を生じ、重いけいれん発作をしばしば起こす状態となったこと、その後、昭和四五年当時は、けいれん発作は薬により抑制されていたが、心身ともに重度の障害を有し、常時監督、指導を受けることが不可欠とされ、初等教育過程への進学は不可能であり、将来通常の社会生活に入り得る可能性も少ないと見込まれる状態であって、当時の障害の程度は厚生年金保険法(昭和二九年法律第一一五号)別表第一の一級に相当するものであったこと、また、昭和五二年当時は、その知能指数はIQ三〇以下、その精神年齢は四歳以下とそれぞれ推定される程度であり、数概念は全くなく、言語の表出はあるが全く自己中心的な発語であるため会話は成立せず、文字の読み書きもできず、食事、排泄、衣服の着脱等について半介助を必要とし、身体の障害も存していて、将来就労することは不可能と見込まれる状態であったことが認められ、右状況は今日に至るまで継続しているものと推認できる。そして、以上の原告恭子の心身の状態を考慮すると、原告恭子は前記の生存可能期間中特殊施設等による介護を受けることを必要とするものと認めるのが相当である。

そして、前記のとおり原告恭子の「おさなご園」在園中に一か月当たり必要とされた費用の合計五万二六〇〇円を基礎とし、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除したうえ原告恭子の将来負担すべき介護費用相当の損害の昭和三八年当時の現価を計算すると、次のとおり七七九万六二〇四円となる。

5万2600円×12か月×(19,4592-71078)=779万6204円

6  原告恭子の得べかりし利益について

原告正行、原告賀壽代及び被告各供述によれば、原告恭子は、昭和三八年一一月一八日に本件種痘を受けて種痘後脳炎に罹患する以前は、けいれん発作を繰り返し起こしていて若干身体が弱かったが、他に格別の障害を負ってはいなかったことが認められるから、原告恭子は本件種痘により種痘後脳炎に罹患しなければ、満一八歳から満六三歳までの間労働することが可能であったと認めるのが相当であるところ、前記のとおり、原告恭子は本件種痘により種痘後脳炎に罹患してその心身に重篤な障害を負ったため労働能力をすべて失ったことが認められる。

そして、労働省大臣官房労働統計調査部編昭和三八年特定条件賃金調査結果報告書の第一表によれば、産業計・企業規模計全労働者の平均月間決まって支給する現金給与額計は二万五二三四円であるから、原告恭子は前記の期間労働することにより一か月当たり右同額の収入を得ることができたものと認めるのが相当であるところ、右金額を基礎とし、ライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除したうえ原告恭子の得べかりし純収入の昭和三八年当時の原価を計算すると、次のとおり二四六万五六一四円となる。

2万5234円×12か月×(18,9802-10,8377)=246万5614円

7  慰藉料について

前記のとおり原告恭子は被告の過失により種痘後脳炎に履患し、その結果心身に重篤な障害を負うに至ったが、原告らが被告の右過失により被った精神的苦痛を金銭により慰藉するには、原告恭子については三〇〇万円をもって、原告正行及び原告賀壽代については各一五〇万円をもってそれぞれ相当と認める。

8  損害のてん補について

原告正行は、原告恭子が本件種痘により受けた障害に関し、昭和四五年一二月ころ東京都から障害見舞金として二〇〇万円の、昭和四六年三月ころ国から後遺症一時金として二七〇万円の各給付を受けたことは、前記のとおりである。

ところで、原告正行は、右各金員の合計四七〇万円により原告正行が被告の前記過失より被った損害のてん補に当てた旨主張するところ、原告正行が被告の前記過失により被った損害は、原告恭子の入院治療中に要した費用一五〇万七七二三円、原告恭子の在宅治療中に要した費用等一六万〇〇九六円、原告恭子の「おさなご園」在園中に要した費用等一一二万九六〇〇円及び慰藉料一五〇万円の合計四二九万七四一九円であって、右は原告正行が国等から給付を受けた前記金員の額を下回っているから、原告正行が被告の前記過失により被った損害は国等から給付を受けた右金員によりすべててん補されたものというべきである。

9  弁護士費用について

弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件原告ら訴訟代理人らに対し、本件訴訟の遂行を委任し、着手金及び報酬を支払うことを約したことが認められるが、被告の前記過失と相当因果関係の存する弁護士費用としては、原告恭子については将来の介護費七七七万六二〇四円、得べかりし利益二四六万五六一四円及び慰藉料三〇〇万円の合計一三二四万一八一八円の約一割に相当する一三〇万円をもって、原告賀壽代については原告正行とともに各二分の一の割合により負担した原告恭子の入院治療中に要した費用一五〇万七七二三円、原告恭子の在宅治療中に要した費用等一六万〇〇九六円、原告恭子の「おさなご園」在園中に要した費用等一一二万九六〇〇円及び慰藉料一五〇万円の合計四二九万七四一九円の約一割に相当する四三万円をもって、それぞれ相当と認める。

六  結論

以上認定説示したところによれば、原告らの本訴請求は、原告恭子について前記損害の合計一四五四万一八一八円、原告賀壽代について前記損害の合計四七二万七四一九円及び右各金員に対する不法行為の日の後である昭和三八年一一月一九日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める限度で理由があるから、これらを認容し、原告正行の請求並びに原告恭子及び原告賀壽代のその余の各請求は、いずれも失当であるから、これらを棄却することとして、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を各適用して、主文のおり判決する。

(裁判長裁判官 石井健吾 裁判官 八木一洋 裁判官 寺尾 洋は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 石井健吾)

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